滞在記 〜本当のアメリカを感じたとき |
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悲しみと更なる衝撃 なにもしない「ただニューヨークにいるだけ」の生活の始まりである。日本と電話が通じてとりあえず関係者に無事を報告。モルガンスタンレー証券の知人が2名消息不明。 街のいたるところにミッシングボードが張り出されている。特に病院の前には何千という紙が!そしてそのどれもが幸せそうな顔をしているのが悲しい。 その夜、ホテルの裏側のエンパイアステートビルに爆弾が仕掛けられているとのアナウンス。全力疾走で非難!結局デマだったが、道路は人でごった返していた。警官の誘導は暴力的だが、あれでなければ誘導することは出来ないだろう。がんばれ日本の警察官! 女性スタッフが精神的に参ってきている。今日から全員1つの部屋で寝泊り。
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2001年9月14日「暗転」 帰国の日。どうやら国際線も運航を始めるらしい。とすれば日本に帰れる。悲しみの街で過ごした5日間も「記憶」になるときが来た。空港で待つこと7時間。結局飛行機は飛ばなかった。失望の中、マンハッタンまでのかえる手段を探す。止まっていた観光バスを「ヒッチハイク」してマンハッタンに。空港で知り合ったラスベガスから来たというおばあちゃんも。 やっとの思いで探したホテルはタイ人経営のちょっと怪しいホテル。6畳程度の広さにベッドが1つ。結局ここに5泊することになる。 この日からはベッド争奪ジャンケンが夜の行事となった。もちろん負けた人は床。シャワーは水。帰国時には全員風邪をこじらしていた。 女性スタッフはこの頃から開き直り、以前にも増してたくましくなっていた。
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星条旗を胸に。復活を誓うニューヨーカーたち。
いたるところで星条旗が掲げられ、すでに前向きに動き始めたアメリカを肌で感じ取れるようになったのは、5日過ぎてからだったろうか。 なにかボランティアを・・・と思い、献血を行なおうと思ったが外国人はNGとのこと。結局、花束を買い、祈りを捧げる。 ミュージカルが再開するとのことで、いつもは予約をとるのも困難な「CONTACT」を観に行く。上演前、全員起立で「God Bless America」を歌う。がんばれアメリカ! 次々に復興の狼煙を上げてきた街で、相変わらず貧乏生活を余儀なくされているが、ようやくキャンセル待ちの飛行機をとることが出来た。今度こそ帰れる!正直なところ、あのホテルから開放されることの喜びの方が大きかったのかも知れない。
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2001年9月20日「開放」
正直なところ、もうだいぶ前からニューヨークにいたような、そんな自然体でいられるようになっても、帰国するとなると嬉しさがこみ上げてくる。 最終日前夜は奮発してちょっといいホテルに宿泊。お湯の出るシャワーとコーヒーのサービス。フカフカベッド。観光ガイドにも載っていないホテルだが、我々にとってみれば超一流であった。ビールとベーグルでささやかな宴会!この日だけはジャンケンに負けてもジュータン敷きの床で大満足。 今回の滞在でJFK空港に何度来ただろう。スタッフがつぶやく。正直なところ、本当に帰れるのかはまだわからなかった。荷物検査がやけに長い。ライター没収。ニューヨークの土産だったのに。 飛行機が離陸したときにはどこからともなく歓声が沸き起こった。 空から見えたニューヨークはいつもの光景に戻っているようだった。 |
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